神実況トークライヴU 2/25 ロフトプラスワン



まず映像。今日のゲストであるアントーニオ本多がいないということで隣のエビスコ酒場に捜索に(右写真)。

するとアントンは2合徳利4本空けて田中邦衛状態で酔っぱらっていた(左写真)。
神実況コンビ「出番は第2部だからそれまでに酔い醒ましておいてくださいね!」

オープニングV(右写真)。

いよいよトークショーのスタート。2人の前にはビールと本日限定のアントンハイセルカクテル。早速さっきのアントンについて鈴木氏が「アントンはハートがモロい。」と指摘(左写真)。
村田「心が折れると田中邦衛になるんですね。」
鈴木「しかし開店から2時間経つのに他にお客さんいなくてよかったですね。やはり歌舞伎町とはいえ平日は・・・。」
Webラジオ「DX-R」の話。鈴木「3回目ですけど、第1回は30分番組だったのがどんどん進化して・・・。」
村田「進化なんですか?無計画なだけでしょう!」

通常は写真撮影自体微妙なイベントもある中で、今回は「お客さん全員がオフィシャルカメラマンです。つまり、皆さんの撮影した写真は我々の方で使わせてもらいます。」と宣言。そりゃ頑張って撮らなきゃな。斜めからだけど。

パーカーのフードをかぶりジョーカーになる村田さん(右写真)。twitterのTOPも「怖い」と評判らしい。

せっかくなのでフードかぶってヒース・レジャーのジョーカーのモノマネをする村田さん(左写真)。

フードを脱ぐと「いやでも中野ブロードウェイは宝物がいっぱい」とニコニコする村田さん(右写真)。

「バットマンは持ってないんですか?」と聞かれると「バットマンは店員が『バットマンはイマイチなんですよね』と言ってた。」左写真
しかしその直後に「いや、僕はジョーカー好きですから!」(キリッ)と言い直す。

ロフトプラスワンのシステムは観客の飲食代が出演者のギャラ(今回は特にゲストのギャラ)に反映するので、次回もできるかどうかはは「今日の客の飲み食い次第」と。
鈴木「でも発表してもやれるかどうかは別ですから。最近でも後楽園規模で前日ドタキャンとかありましたし。」
村田「鈴木さん、週プロ辞めて言うようになりましたね。」右写真

すでに巻きモードに入り、神実況コンビがホストのヘアスタイリングを実況した雑誌「ホストナックル」の付録DVDをちらっと見せて内幕を語るコーナーに(左写真)。なんでもこの企画、最初にヘアスタイリングを撮ったはいいが、ホストナックルの大島編集長が「何か足りない」と思い、「そうだ実況を入れよう!」と思い立ったために生まれた企画だそうだ。これによりシュールな映像が「ますますシュールになった。」

DVDの映像(右写真)。確かにシュールだ。
鈴木「解説ったって、ヘアスタイリングのこと何も知りませんから。」そりゃそうだ。
村田「互いに相手の言ってること肯定してるだけですね。」 何をやっていいかわからないので一本目はプロレス用語を交えつつリハーサルをやった。すると大島編集長からOK。二本目もリハやったつもりだったらそれがOK出てそのまま使われることに。三本目はリハすることもなく一発で。できあがったセットは「ナチュラル健介盛り」と命名されていた。
「是非永田選手とかスタイリングして試合に臨んでもらいたいですね。」

村田「飯伏とかそういうイケメン出しても普通なんですよ。その先に永田さんみたいな人がいる。これを見た人が『永田』とかで検索してくれるといいなと思ってプロレス用語を入れてしゃべりました。」
鈴木「で、検索で出てくるのがあの銅像の画像、と。」
村田「これからも、酔狂な、なるべくありえないものの実況をしていきたい。すべての原点は松江哲明監督の『デトロイト・メタル・シティ』ドキュメントDVD。」左写真

次のコーナーはDDT提供試合。この狭い会場のどこで試合?AVGPみたいにステージで?と思ったらそのカードは「世界スケルトン級初代王者決定戦、透明中国人・見捨朗vsアーノルド・スケスケジャネーカー。この対戦のために中国とアメリカからDDTが招聘したそうだ。

実況は村田晴郎、解説とゴングは鈴木健(右写真)。レフェリーはクリアボディ・ズーガン。

一瞬も見逃せない2人の闘い。ラフファイトを狙う見捨朗に対し密着戦のスケスケジャネーカー。打撃戦になると観客からも声が出だす。いろいろ凄い。

場外戦に。観客席の合間を縫っての試合のため観客に注意を促しながら実況する2人(右写真)。観客の間からは「ジャスコ」コールに続き「ドンキ」コールも自然発生。

見捨朗が場外では優勢、四方の柱にスケスケの頭をぶつける。

見捨朗はスケスケをバーカウンターにぶつける。

見捨朗がバーカウンターの上でパイルドライバー狙う(左写真)。

スケスケはリバース(右写真)。リングに戻るとロックアップでリスタート。

見捨朗はスケスケの古傷のヒザに攻撃。痛めつけておいて足4の字に。スケスケロープ。見捨朗再度4の字狙う、スケスケ下から蹴り上げる、見捨朗がレフェリーと交錯、レフェリーダウン。スケスケが見捨朗を首固めに取るがカウントは入らず。

見捨朗ローブロー、ロープに飛んでラリアット、スケスケこれをかわし延髄蹴りからサイドスープレックス、カバー、しかしダメージから回復しきれてないレフェリーはカウントが遅く2どまり。

見捨朗がリング下からイスを持ってくる、スケスケ取り上げて見捨朗に一発。その後もイスの取り合いに。そのイスがレフェリーに誤爆、レフェリー失神。鈴木健氏がゴング乱打。

スケスケジャネーカー(11分50秒 無効試合)見捨朗

またも「透明人間なのに不透明決着」となり、王座は空位のまま。熱の入った実況で暑くなったのかパーカーを脱ぐ村田さん(左写真)。
鈴木「これは公式試合ですので記録が残ります。週モバには載らないと思いますが、EXTREME PARTYとかブラックアイには載るでしょう。」


ここでそろそろ第一部終了ということで、控室のアントンの様子をカメラが捉える。起きたようだ(右写真)。

水分補給(左写真)、そしてなぜか村田さんの言うがままにウォーミングアップする。これは「DX-R」に寄せられたメールで「控室の実況が見たい」というのがあったが、リアルな控室は無理ということでこの形になったそうだ。没企画としては「後楽園の階段の落書き実況」というのがあったが、収録中に後楽園ホールから撮影禁止を言い渡されて断念したそうだ。しかし次回「ボラギノール方式」での実現を検討。

9時前から15分間の休憩。その間も2人はステージから去ることなくマグカップの抽選販売。50個限定に対し75名の希望があり、村田さんの手によって半券が選ばれる(右写真)。ちなみに休憩中スクリーンではある控室映像が繰り返し繰り返し流れていたが、これはドリンクを売るための「全編サブリミナル」映像だそうだ。

9時10分、再開。ゲストのアントーニオ本多が呼びこまれる(左写真)。アントンをゲストに呼ぼうと決めたのはムラつぁんのたつての希望だそうだ。アントン「邦衛は抜いてきた」ということで今日のスペシャルカクテル「アントンカクテル」をオーダー、再び乾杯。第二部は「フリートークというよりノープラン」で、「DX-R」第3回で、「これはライヴのためにとっておこう」と決めた話を中心に。

そして始まる映画トーク。「映画『酔拳』のフィニッシュがエルボードロップだった。自分のやってきたことは間違いじゃなかった。」右写真)。

「第二のアーノルド・シュワルツェネッガーは自分しかいない。ツインズはリアル。」とか形態模写を交えて好調に飛ばす(左写真)。

そんな映画好き青年だったアントンがなんでプロレスラーになったかを時系列で。まず大学入学の前に引退試合(98年)を見て突然猪木さん(アントンは猪木を呼び捨てにできない)にハマり、TSUTAYA各店舗でありとあらゆる猪木の映像を1年間で見まくった、と。武蔵野美術大学に入学後、プロレス研究会の5代目タイガーマスクとかぎっこ(得意技はキーロック)から勧誘されたのとポスターの「ロシアンアヴァンギャルドと大仁田厚のフュージョン」に魅かれ、アントン側から電話を掛けてみた。で、連れて行かれた体育館の2階で男がボディスラムを延々とやっていた。「研究するんじゃないのか?」と思い、距離を置こうと考えたが焼肉に行ったり、5回、6回練習に行くうちにデビューが決まった。

デビュー戦の相手はMUSA-V。「アントニオ本多」というリングネームを付けたのはプッチンプリン(オサマ・ビン・プディン)。距離を置こう、距離を置こうと思っていたが、「校庭の真ん中にリング、上には青空、まばらな客」という非日常性とその客が沸くのを感じてのめりこんでしまったそうだ。

学プロ引退時期を迎え、「GAORAで見たことある」闘龍門に履歴書を出すが、いろいろあって断念、学プロを続けることにしたが「アントニオ本多」は引退したので「E.YAZAWA」として前座道を究めることに。DDTは「GAORAでやってないから」認識もなし。

ひとしきりしゃべり終え、アントンカクテルを飲むアントン(左写真)。

そうしてOBレスラーとして活動をしているうちに坂井と藤岡がE.YAZAWA vs マン・ツィン・ポーの試合を見てマッスルに出ることになった、と。

坂井に会った時の感想は「言うことが○○ガイみたいだった」(○○にはタフとかが入るみたいです)。

アントンの試合を初めて見た村田さんは「あそこまで雰囲気を漂わせて入場するレスラーはプロでもなかなかいない」と思ったそうな。
アントンは「猪木さんが憑依することによってそうなる。」と。

学生時代はWWEのスティーヴ・オースチンが群を抜いているように見えて、そうこうするうち「たまに南部でだけ試合をする解説者のおっさん」ジェリー・ローラーが気になり出した。オースチンも当時はパンチとキックとスタナーしか出していなかったし、ジェリー・ローラーもパンチのみだった。そういう意味は猪木の怒りのパンチも同じ流れ(これは後付け)。

マッスル2でデビューした当時のアントン(右写真)。細い。アントンの立ち位置は「ツルティモ・ドラゴン・ジムへのイタリアからの留学生」で「魁!男塾」で言えばJ。

「片谷さんとか何回も撮るのに自分は一発だった。」「片谷さんのバックドロップがキツかった。」「マッスルがブレークしたら校長の態度が変わった。」など初期マッスルの裏話(左写真)も。



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