ナガサキ旅日記1999 vol.2


グラバー園を出た後、電車道を横切って今度は東山手に。孔子廟(左写真。中国歴代博物館もある)も行ってもよかったんだが、入場料が525円だったのでパス。

オランダ坂を上る。え、よく見る「オランダ坂」の景色と違う?いや、こっちの方がもともと「オランダ坂」と呼ばれてた坂。

坂を登り切り、「もうひとつの」オランダ坂方向に進む。昔ここにはユースホステルがあったはずなんだが・・・・ありゃ、アパートになってる。しかもさびれてるし。時の流れを感じますな。洋館群をちらっと見た後、オランダ坂(左写真)を下りる。こっちの方が有名な方だが、こっちは地元では通称「活水坂(かっすいざか)」。私の持ってる古地図では「ロティ坂」と記載されてた。


梅香崎→新地→銅座と歩く。「銅座」ってのは別に銀座をマネたわけではなく、本当に輸出用の銅銭を鋳造していたところ。で、その銅座かいわいを歩いていると昔よく行ってた「文久堂」という本屋がいつのまにかヤマザキデイリーストアに変わっていた(右写真)。さらに歩いて長崎市最大の繁華街である浜町へ。そろそろ腹も減ったので、トルコライスを食おう、と決める。がしかし、「元祖」のボルドー(万屋町にあるはず)が見つからず、そのへんにあった「雅叙」に入る。

「雅叙」のトルコライス(700円)はカレーピラフではなく普通のピラフの上にカツ。そしてあんまり見えないけどナポリタンが向こうに。近所の「MEIDIYA」には「よくばりトルコライス」と称するさらにハンバーグ付きのもの(900円)があった。

中通りから川端に出て中島川石橋群見物。ご存知のように昭和57年の大水害でひとつ残らず流されてしまったので、今あるものはすべて再構築された、歴史的にはあんまり価値のないものではあるが。とりあえず眼鏡橋。この頃には天気もよくなっており、見事に眼鏡ができていた。

えーと、これは、古町橋か袋橋かどっちか。

こんなとこにも梅宮辰夫。

実が落ちてくるのを待てずに木に登ってついばむハト。

洪水対策で今や川の流れも人工的に変えられている(右写真)。

長崎の観光地ではたいがいどこでも見かけるアイスクリーム。「クリーム」というより「氷菓」に近いが。まだ値段は100円だった。

新大工あたりへ。八幡町あたりの古い家を見たかったんだが、さすがに取り壊され、建て直されていた。この「たちつてと」焼とやら(左写真)、買わなかったので正体不明のまま。(また「モンブランビル」というのが怪しい)

新大工のタバコ屋では犬がタバコや電車の一日乗車券を売っていた(左写真)。ので一日乗車券を買う。電停で待っていると、「正覚寺下」行きが来たので何も考えずに乗る。「正覚寺下」というのは浜町の先の方、つまり今来た道を逆戻りするコースを取ったわけだ。

これが「正覚寺下」電停。長崎電鉄の4つの終点のうちの一つだが、ほんとに着いたらすぐ引き返すだけの終点。ここ、もう有名な崇福寺に近いんだから、それにちなんだ電停名にすればいいのになぜか「正覚寺下」。で、私はその「正覚寺」がどこにあるか未だに知らない。

まあ、せっかくここまで来たんで、今度は寺町通りを北上することにする。まずは崇福寺(右写真)。と言ってもまたも中には入らず。この山門(国宝)だけ見れば終わり、という話もあるし。

崇福寺の目の前にはさだまさしの喫茶店「自由飛行館」が(左写真)。昔はさだまさしの叔父さんがやってたそうだけど、今はどうなんでしょう?

有名な割烹「一力」。長崎の典型的な商家の造りとして今や貴重かも。

今度は興福寺。ここも門見りゃ終わりかなあ(ひでえ)。

興福寺からしばらく行くと、「亀山社中跡入り口」という案内板がある。あ、これは行ったことなかったんだ。ぜひ行ってみよう、と坂を登る。左写真の通り、墓を通り抜け、住宅街を上っていく。しかし山の上まで折り重なるように家が建ってるなあ。すごいもんだ。

こういう車の入れない坂の町のゴミ収集は収集員の人が右写真のようなプラスチックケースにゴミを集めて下まで人力で引っ張るのである。

ようやく着いた「亀山社中跡」。しかし立て札を見ると「当分土曜・日曜の10時〜12時、1時〜3時しか開館しません。」なにー。そんなのは坂の下に書いといてくれよ。

失意のまま坂を下り、諏訪神社(右写真)前から「赤迫」行きの電車に乗って浦上方面へ向かう。

乗った電車は経歴書(左写真)によると「昭和29年製」。ひえー、大ベテラン。


その3へ