江戸城三十六見附を歩かない。



「江戸城三十六見附」と言ってもいろんな説があり、「単にたくさんの意味」「実は92」などと言われてもいるが、真偽を論じる気はさらさらないので「江戸城三十六見附を歩く」という本に載ってる定義に従ってみる。Wikipediaも同じようだし。これによると外堀から渦巻状に、

1. 浅草見附
2. 筋違(すじかい)見附
3. 小石川見附
4. 牛込見附
5. 市谷見附
6. 四谷見附
7. 喰違見附
8. 赤坂見附
9. 虎ノ門
10.幸橋門
11.山下橋門
12.数寄屋橋門
13.鍛冶橋門
14.呉服橋門
15.常盤橋門
16.神田橋門
17.一ツ橋門
18.雉子橋門
19.竹橋門
20.清水門
21.田安門
22.半蔵門
23.外桜田門
24.日比谷門
25.馬場先門
26.和田倉門
27.大手門
28.平川門
29.北桔橋門
30.西の丸大手門
31.西の丸玄関門(二重橋)
32.坂下門
33.内桜田門(=桔梗門)
34.下乗門
35.中ノ御門
36.中雀門
だそうだ(西桔橋門は入ってない)。このうち皇居内にあって行けないものを除いて、歩くのはつらいので公共交通機関を駆使して行ってみよう。付加した古写真は明治4年頃に撮られたもの。



1.浅草見附

浅草見附からスタート。浅草橋はいまだ健在だが門はすでになく、この標柱のみ。



古写真。


2.筋違見附

万世橋から昌平橋。昌平橋から50m下流に筋違橋が架かっており、そこに筋違見附があったらしいのだが・・・。筋違見附の枡形の石垣は解体・万世橋に流用され、その万世橋もすでにコンクリート橋に替わっている(位置も現在の位置に)。2番目でいきなり頓挫。

上野への「御成通」であったという表示はある。

拡大。やはり筋違見附跡は万世橋駅→交通博物館(閉館)となったようだ。

逆に昌平橋から万世橋。この途中に筋違見附があったと思われる。

古写真。


3. 小石川見附

小石川橋。

小石川門跡の説明板。小石川見附が明治5年に取り壊され、石材は常盤橋に使われた旨が書いてある。

古写真。

近いアングルで。


4.牛込見附

そしてようやく遺構らしきものが残っている牛込見附に。牛込橋を渡って右手の石垣。渡櫓門の石垣かな?

左手の石垣。こちらは高麗門の左側?

牛込橋の説明板。

再度右側の石垣。

明治4年、横山松三郎氏撮影の古写真。渡櫓は明治5年、高麗門は明治6年取り壊し、石垣の大部分も明治35年に撤去。

近いアングルで(道の広さも全然違うので無理がある)。


5.市谷見附

現状の市ヶ谷橋。

市ヶ谷門跡の説明板。

橋のたもとに石垣に使われていた石が飾ってある。

これも。

古写真。

近いアングルで。

市ヶ谷橋の石垣。


6.四谷見附

現状の四谷見附橋。

古写真とは大きく様変わり。

一角のみ石垣が残っている。冠木門北側の石垣。

門の入り口側から。木が多い。

駅の工事で発見された最下段の石積み。


7.喰違見附

喰違見附跡。ここだけは枡形門ではなく土橋に木戸があったのみ。

「喰違」というのはクランク状だったのかな?今はほぼまっすぐ。

逆側から。

土塁。

喰違木戸跡の説明板。

土橋から南側の堀。北側の真田堀は埋め立てられてテニスコートに。

浮世絵。


8.赤坂見附

赤坂門跡石垣。

これは冠木門の石垣かな?

説明板。

枡形(の一部)はガーデンテラス紀尾井町の「空の広場」に。

この石は石垣のを使ってると言うが?

紀州藩藩邸の水路の石垣。

古写真。

近いアングルで。

古絵図。赤坂御門への道の左は弁慶堀、右は溜池。

弁慶橋から赤坂門石垣。

弁慶橋。ちなみに弁慶橋がここに架けられた(移設)のは明治22年のこと。

弁慶堀。奥が赤坂見附。


9.虎ノ門

ここは何もないかと思ったら・・・・

こういう碑がありました。

歩道側から。

教育会館前(東京メトロ虎ノ門駅11番出口前)には虎ノ門南側石垣が。

駅の階段から。黒い窓枠がちょうど昔の外堀の水面の高さを示す。

矢羽根の刻印が多数。豊後佐伯藩の毛利家のものらしい。

旧文部省庁舎中庭にも虎ノ門石垣。

古写真。


10.幸橋門

幸橋があったのは今の東京第一ホテルの辺り。

今は鉄道の高架橋にその名を残すのみ。

新幸橋ができたのは大正12年。

古写真。


11.山下橋門

山下橋門のあった辺り。

これも鉄道の高架橋にその名を残すのみ。

古写真。




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