| 所在地: | 東京都千代田区千代田 | |
| 最寄駅: | JR東京駅、東京地下鉄千代田線大手町駅・二重橋駅、東西線竹橋駅 | |
| 別 名: | 千代田城、東京城 | |
| 現存遺構: | 伏見櫓、巽櫓、富士見多聞、西の丸大手門、桔梗門、田安門、清水門、桜田門、平川門、北拮橋門、同心番所、百人番所、大番所、曲輪、石垣、堀、土塁 | |
| 再建建物: | 富士見櫓、大手門 | |
| 区 分: | 平山城 | |
| 城 主: | 太田氏、上杉氏、北条氏、徳川氏 | |
| 歴 史: | 1457(長禄元) | 太田道灌により築城 |
| 1524(大永4) | 北条氏綱が扇谷上杉朝興から江戸城を奪取、以後支城として城代を置く | |
| 1590(天正18) | 徳川家康入城 | |
| 1592(文禄元) | 西の丸を築く | |
| 1606(慶長11) | 本丸、二の丸、三の丸、外曲輪構築 | |
| 1607(慶長12) | 慶長天守完成、北の丸を築く | |
| 1611(慶長16) | 西の丸拡張 | |
| 1623(元和9) | 元和天守完成 | |
| 1624(寛永元) | 西の丸御殿改築、隠居の秀忠が入居 | |
| 1629(寛永6) | 江戸城大修築開始 | |
| 1634(寛永11) | 西の丸御殿焼失 | |
| 1636(寛永13) | 江戸城大修築竣工 | |
| 1637(寛永14) | 天守台改造、本丸御殿完成 | |
| 1639(寛永16) | 本丸御殿焼失(翌年再建) | |
| 1657(明暦3) | 明暦の大火で天守、本丸、二の丸、三の丸まで焼失 | |
| 1658(万治元) | 天守台が再建されるが天守は以降再建されず | |
| 1659(万治2) | 本丸御殿・富士見櫓再建 | |
| 1747(延享4) | 二の丸御殿焼失(6年後再建) | |
| 1838(天保9) | 西の丸御殿焼失(翌年再建) | |
| 1844(弘化元) | 本丸御殿全焼(翌年再建) | |
| 1852(嘉永5) | 西の丸御殿全焼、再建 | |
| 1859(安政6) | 本丸御殿全焼(翌年再建) | |
| 1863(文久3) | 西の丸、本丸御殿全焼(西の丸は翌年再建されるが本丸は再建されず) | |
| 1867(慶応3) | 二の丸御殿全焼 | |
| 1868(慶応4) | 江戸城無血開城、明治天皇が入城し東京城と改名 | |
| 1873(明治6) | 皇居として使用していた西の丸御殿焼失、青山御所を仮皇居に | |
| 1888(明治21) | 西の丸に明治宮殿完成 | |
| 1923(大正12) | 関東大震災で富士見櫓など倒壊(富士見櫓はのち再建) | |
| 1945(昭和20) | 空襲で大手門焼失 | |
| 1961(昭和36) | 田安門、清水門、桜田門が国の重要文化財に指定 | |
| 1963(昭和38) | 国特別史跡に指定 | |
| 1967(昭和42) | 大手門再建 | |
江戸城跡は現在本丸と二の丸が「皇居東御苑」として無料開放されている。東京駅丸の内口からまっすぐ正面向いて歩くと和田倉門に着く。その横にはこの和田倉橋という木橋が掛かっている。
大手門。皇居東御苑はこの大手門と竹橋の方の平川門、北拮橋(きたはねばし)門の三ヶ所から入れる。
皇居東御苑の全体図。
門のところで入園証を受け取り(返却は3ヶ所のどこでもよい)入園。
大手門内門。大手門は太平洋戦争で焼失、1965(昭和40)年に再建。
入ると鯱が鎮座。
紅白の梅。
残っている建物は凄く少ない。そのひとつ同心番所。
こちらは百人番所。いい天気だ。「鉄砲百人組」と呼ばれた甲賀・伊賀・根来・二十五騎の四組が交代で監視に当たっていた場所。
美しい石垣。ここは中ノ御門跡。
大番所。番所ばっかりだな、残ってるの。
石垣。
こちらの石垣の石にはなんか模様が(追記:明暦の大火=下記参照で焼けた天守台の跡という説もある)の。中雀門跡。
咲いてる花はさっきの梅とこの椿くらい。春になるともっといっぱい咲いてるらしいが。
本丸跡はこんな感じの公園になっている。昔は中央気象台(気象庁の前身)と正午を知らせる大砲(いわゆる「ドン」)の砲台があったらしい。
このへんに松の廊下(大広間と白書院をつなぐL字型の廊下だった)があったらしい。本丸には一切建物が残ってない(1863年に全焼)ので意味がない。
石室。
天守台。意外に狭い。
1623年から1657年の短い間にはこのような立派な5層6重の天守があったらしい(いわゆる「元和天守」。明暦の大火で焼失、その後再建されず)。皇居を見下ろす形になるので絶対再建されないだろうなあ。
天守台から北を見ると玉ねぎ。
天守台の石垣。
これも。他の城に比べてもそんなにきれいでもない。この天守台は1658(万治元)年に再建されたが、天守がその上に乗ることはなかった。
汐見坂から丸の内方面を眺める。
これは白鳥堀。白鳥はいない。
二の丸庭園の松。本丸と二の丸は堀などで明確に分けられてはいなかった。
どっかから移築されてきた諏訪の茶屋。明治の末の建築物らしい。
二の丸庭園には「都道府県の木」というエリアがあり、47都道府県の県木が植えてある。これは茨城県の「ウメ」。
大分県の「ブンゴウメ」。咲いてるのがこのくらいしかないもんで。
平川門の方に下る。
これも梅かな?
山茶花。
平川門から出る。平川門は往時は三の丸から大奥につながる入り口で「勝手口」的役割だったとか。
平川門の鯱。
平川門。
お堀沿いを歩く。桜はまだつぼみ。
ここがもうひとつの出入り口の北拮橋門。
北の丸公園(かつては田安御殿、そして戦時中は近衛師団司令部があった)を突っ切っておなじみ田安門から九段下へ。
清水門。1658(万治元)年に再建。重要文化財。
平川門。
田安門渡櫓。1964(昭和39)年復元。