浜松城 2025.8.13



所在地: 静岡県浜松市中央区元城町
最寄駅: 遠州鉄道遠州病院前駅
別 名: 曳馬(ひくま)城、石垣城
現存遺構: 曲輪、石垣
再建建物: 復興天守
区 分: 平山城
城 主: 徳川氏、堀尾氏、松平氏、水野氏、高力氏、太田氏、青山氏、井上氏
歴 史: 1570(元亀元) 徳川家康が築城
1590(天正18)家康江戸移封に伴い堀尾吉晴が入城
1600(慶長5)吉晴の子・忠氏が関ヶ原の戦いの功により松江に転封
1601(慶長6)松平(櫻井)忠頼が入封
1609(慶長14)忠頼が刺殺され松平氏改易、徳川頼宣の付家老・水野重央が入城
1619(元和5)頼宣紀州入りに伴い重央も新宮に転封、代わって高力忠房が入封
1638(寛永15)忠房が島原に転封、代わって松平(大給)乗寿が岩村から入封
1644(寛永21)乗寿が館林に転封、代わって太田資宗が西尾から入封
1678(延宝6)資宗の子・資次が大坂城代に任命、摂津に移封、前大坂城代の青山宗俊が入封
1702(元禄15)青山氏3代忠重が亀山に転封、代わって松平(本庄)資俊が入封
1729(享保14)資俊の子・資訓が吉田に転封、代わって吉田から松平(大河内)信祝が入封
1749(寛延2)信祝の子・信復が吉田に転封、松平(本庄)資訓が浜松に再び入封
1758(宝暦8)資訓の子・資昌が宮津に転封、代わって井上正経が入封
1817(文化14)井上氏3代・正甫が棚倉に転封、代わって水野忠邦が入封
1845(弘化2)忠邦が天保の改革に失敗して蟄居、子の忠精も山形転封、井上正甫の子・正春が入封
1868(明治元)遠江が徳川家達に与えられ、井上氏2代・正直は上総鶴牧藩に国替え、浜松藩は廃藩
1871(明治4)廃城
1959(昭和34) 天守再建


浜松城公園入口にあった浜松城の変遷@。

A。

B。

二の丸跡の説明板。「二の丸は本丸の東側に位置し土地も一段低く、広さがおよそ4950uで城主の居館がありました。また、政庁も設けられて江戸時代を通じて藩政の中心でした。二の丸の主な建物は表御殿と奥御殿からなっていて、表御殿には藩の行政機関が置かれ、およそ1650uありました。(中略)奥御殿はおよそ330uで、左側が藩主の居間、右側が湯殿、小姓詰所など計15の部屋がありました。(中略)現在二の丸跡地は浜松市役所、旧元城小学校の一部になっています。」元城小学校は2017年に閉校、跡地は「葵広場」。

非常に地味な本丸跡の碑。

本丸跡には「若き日の徳川家康」像。

野面積みの石垣。

天守曲輪の石垣。

天守門。

天守曲輪の石垣。

鏡石。

復興天守。

天守台石垣。

天守。

ユリ。

天守。

天守門。

天守台。

天守曲輪石垣。

天守曲輪石垣。

天守曲輪石垣。

天守曲輪石垣。

富士見櫓跡。

天守と天守門。

富士見櫓石垣。

富士見櫓石垣。

天守門。

鉄門跡は駐車場(立入禁止)。

2014年の発掘調査で新たに発見された石垣。

発掘調査で確認された堀跡の図。

現在は道路。

鎧掛け松。

出丸跡の中央図書館まで行ってみる。鳥居元忠居館跡の碑。

土塁っぽいと言えば土塁っぽい。

ここも。

伝出丸から天守。

伝出丸から天守。




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