| 所在地: | 長崎県南島原市南有馬町大江名 | |
| 最寄駅: | 島原鉄道島原駅からバス | |
| 別 名: | 日暮城、志自岐原城 | |
| 現存遺構: | 曲輪、石垣、空堀 | |
| 区 分: | 平山城 | |
| 城 主: | 有馬氏 | |
| 歴 史: | 1496(明応5) | 有馬氏7代・貴純が日野江城の支城として築城 |
| 1604(慶長9)頃 | 有馬氏14代・晴純が近世城郭に改修 | |
| 1614(慶長19) | 晴純の子・直純(15代)が延岡に転封 | |
| 1616(元和2) | 松倉重政が日野江城に入城、一国一城令により原城を廃城 | |
| 1637(寛永14) | 天草・島原一揆で一揆軍が原城跡に篭城 | |
| 1638(寛永15) | 一揆軍鎮圧、戦後原城は徹底的に破城 | |
| 1938(昭和13) | 国史跡に指定 | |
島原鉄道が一部廃止になったため、原城には島原駅前(または島原外港)から島鉄バスに乗って行くしかなくなった。
原城入り口の案内板。
こんな風に看板があるとこれが遺構かという気もするがどうも違うようだ。
本丸はさらに先。
本丸に向かう途中で石垣造りの一角が。
行ってみると1638(寛永15)年に戦死した幕府軍の上使・板倉重昌の碑であった。1798(寛政10)年、重昌の子孫にあたる板倉八右衛門勝彪により建立。石垣はその際積まれたものと思われる。
碑文はもう読めない。
大手門へ行く道と本丸へ行く道の分岐点。
案内図。
分岐点から本丸。
まずは大手門跡に。
大手門跡の説明文。
ここに原城跡の石碑も。
外側から大手門跡。
大手門跡のすぐ外に池?があったが堀跡かどうかは不明。
また分岐点まで戻り、本丸方向へ。二の丸は広大な野原・畑に。
この石垣は遺構か?(西二の丸)
二の丸から本丸。
本丸手前の空濠。元からあったものではなく、一揆の際に本丸を切り離すために掘られたものとのこと。
空濠。
空濠の説明文。
石垣。
ホネカミ地蔵。1766(明和3)年有馬村願心寺の注誉住職により建立。
石垣跡。
内馬場跡。
本丸へ。この石は石垣に使われていた石だろうか?
本丸。
上辺がことごとく破壊された石垣。
櫓台跡。三重程度の物見櫓があったと推測されている。
門跡。
枡形。
最近発掘、復元された本丸虎口。
本丸。
原城攻防布陣略図。
凡例。
本丸部拡大。A〜Nは一揆軍側の布陣。
説明板。
石垣を破壊した後の石捨て場。