日野江城 2006.5.1



所在地: 長崎県南島原市北有馬町谷川名
最寄駅: 島原鉄道島原駅からバス
別 名: 日之江城、日ノ江城、火ノ江城
現存遺構: 曲輪、石垣
区 分: 平山城
城 主: 有馬氏
歴 史: 1213〜1219
(建保年間)
有馬経澄が築城
1600(慶長5)有馬氏14代・晴信が関ヶ原の合戦の際に東軍に寝返り本領安堵、日野江(島原)藩立藩
1612(慶長17)晴信が岡本大八事件で死罪に
1614(慶長19)晴信の子・直純が延岡に移封、島原は天領に
1616(元和2)松倉重政が入封するが、重政は森岳に島原城を築き日野江城は廃城
1982(昭和57)国史跡に指定
1995(平成7)発掘調査開始(〜2000)
2006(平成18)当時の北有馬町長と町議により遺構が破壊されていることが発覚


町、というか高木町長(当時)と町議2人によって遺構が破壊されてしまったという日野江城。とりあえず現状を見に。

これは遺構?このへんは畑も立派な石垣が組んであるのが多くて区別が付きにくい。しかしブルーシート敷いてるから遺構かも。

ちょっと上から。

UP。

ブルーシート部UP。

本丸に登る。これは単にがけ崩れによる通行止めっぽい。

本丸。

陣城図。

マムシ注意!

ツツジとクロアゲハ。

本丸から一段降りたところにある曲輪。

謎の崖というか切通というか。いや通れないし。

石垣。

このブルーシートが石垣ぶっ壊して重機通れる道作ったってとこか?

こちらは「浦口」だった。他に「大手口」があるらしいのだが見つからず。

公民館の脇から上る山道を見つけたので入ってみる。石垣あり。

暗いけど石垣。この道はすぐに先がなくなっていた。枝分かれしていたもう一方に行くとヘビが道に横たわっていたので(マムシではないと思うけど)退却。

実際この草ぼうぼうで「マムシ注意」な状態では観光資源としては使えない、草を刈ろう桜を植えようと思うのもわからなくはないが、遺構壊してまで桜を植えるというのはやっぱり言語道断。特に発掘調査の途中であったことを考えると二度と元の姿がわからなくなったというのは間違いない。




九州の一覧へ