川越城 2006.11.25



所在地: 埼玉県川越市郭町2丁目
最寄駅: 西武新宿線本川越駅
別 名: 河越城、初雁城、霧隠城
現存遺構: 本丸御殿、富士見櫓跡土塁
区 分: 平城
城 主: 上杉氏、北条氏、酒井氏、堀田氏、松平氏、柳沢氏、秋元氏
歴 史: 1457(長禄元)扇谷上杉持朝が太田道真、道灌に命じて築城させる
1537(天文6)上杉朝興の死に乗じて北条氏康が川越城奪取
1546(天文15)川越城の戦いで北条勝利後大道寺政繁が城代として入城
1590(天正18)徳川家康江戸入りに際し酒井重忠が初代川越藩主として入城
1601(慶長6)重忠が前橋に転封
1609(慶長14)酒井忠利が入封
1634(寛永11)忠利の子・忠勝が小浜に転封
1635(寛永12)堀田正盛が老中となり川越入封
1639(寛永16)正盛松本転封、松平(長沢)信綱が入封、城郭の拡張・整備を行う
1694(元禄7)松平氏3代信輝が古河に転封、柳沢吉保が入封
1704(宝永元)吉保が甲府に転封、代わって秋元喬知が入封
1767(明和4)秋元氏4代・涼朝が山形に転封、代わって松平(越前)朝矩が洪水被害を受けた前橋から移動
1846(弘化3)川越の大火で二の丸にあった御殿が焼失
1848(嘉永元)松平氏4代・斉典が本丸に御殿を再建
1867(慶応3)7代・直克が前橋に帰封、代わって松平(松井)康英が入封
1871(明治4)廃城、建物払い下げ
1987(昭和62)民家に移築されていた本丸家老詰所が再移築(復元場所は異なる)


現存本丸御殿。1848(嘉永元)造営。

広角で。

接近。

正面から。

唐破風UP。

紅葉を無理やり入れて。

中に入る。玄関広間。

襖絵も現存?

本丸御殿模型。現存しているのは右半分のみ。

家老詰所。1872(明治5)年に民家に移築されていたものを1987(昭和62)年に再移築、復元。

廊下。

家老模型。

家老詰所から御殿玄関。

廊下。

玄関に戻る。

中庭の紅葉。

富士見櫓の模型。

端の部分。本来ここから先が御殿。

田曲輪門跡石柱。

富士見櫓跡。

富士見櫓跡の石碑。

どこをどう撮ってよいのやら。再建話はどうなった?

市役所前にある川越城の縄張り図。

同じく太田道灌の像。

大手門は今の川越市役所あたりだったらしい。本丸からはかなりの距離。ほとんど遺構が残ってないけど大規模な城だったのだなあ。

城とは関係ないが川越と言えば時の鐘。

江戸城より移築されたという喜多院の書院。




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