大和郡山城 2004.4.4



所在地: 奈良県大和郡山市城内町
最寄駅: 近鉄京都線近鉄郡山駅
別 名: 犬伏城
現存遺構: 曲輪、石垣、堀
再建建物: 追手門、追手東隅櫓、追手門向櫓、多聞櫓
区 分: 平山城
城 主: 筒井氏、豊臣氏、増田氏、大久保氏、山口氏、水野氏、松平氏、本多氏、柳沢氏
歴 史: 1580(天正8)筒井順慶が築城
1583(天正11)天守完成
1585(天正13)順慶の養子・定次が伊賀上野に転封、豊臣秀長が入城
1595(文禄4)秀長の子・秀保が死去し大和豊臣家断絶、増田長盛が入城
1600(慶長5)関ヶ原の合戦後長盛が高野山に追放され、大久保長安が城番となる
1610(慶長15)山口直友が郡山城在番となる
1614(慶長19)筒井定慶が郡山城在番となる
1615(慶長20)大坂夏の陣で城下焼討ち、定慶は逃亡の後切腹。戦後水野勝成が入封、郡山藩立藩
1619(元和5)勝成が福山転封、松平(奥平)忠明が入封し伏見城の廃材を用いて大修築、二の丸に御殿を築く
1639(寛永16)忠明が姫路転封、本多政勝が入封
1679(延宝7)本多政長(政勝の子)の嫡養子・忠国が福島に転封され松平(藤井)信之が入封
1685(貞享2)信之転封、本多忠平入封
1724(享保9)本多家5代忠烈が幼少を理由に転封され柳沢吉里が入封、以降明治まで柳沢氏の居城
1873(明治6)廃城、建物取り壊し
1983(昭和58)追手門復元
1984(昭和59)追手東隅櫓、多聞櫓復元
1987(昭和62)追手門向櫓、多聞櫓復元


今回はJR郡山駅からアクセス。途中に外堀公園。

全く往時の面影はないが外堀跡。

柳御門跡。

鉄御門跡。

堀。

追手向櫓。「桜の季節に来たらきれいだろうなー」と思って今回来てみた。確かに桜の名所だけあって桜はきれいだが、残念なことに天気は前回同様どんより。

接近。

追手東隅櫓。

追手門。

追手向櫓を見上げる。

内側から。

本丸石垣。

桜と追手向櫓。

真下から見上げる。

極楽橋跡。

本丸高石垣。「お城まつり」の期間中のため柳沢神社の参道には露店が並ぶ。

堀と石垣。

極楽橋跡の石垣。郡山城は天守台にも石仏やらなんやらいろんな石が使われてることで有名だが、この彫刻(反花文というらしい)もなんか気になる。

大和郡山市といえば金魚(らしい)。

マスクマンのようである。

天守台。前回なかった大数珠で囲まれていて接近不可能になっていた。「天守台に使われている石仏や地蔵に対する供養」がどうたらこうたら書いてあったが、石垣の保全でなくてそういう宗教的な理由なんだったらちょっとがっかりだなあ。

桜と堀。アマチュアカメラマンが狭いエリアで場所取り合戦をやっていた。

天守台の上にも桜。

天守台の石垣。

同じく。

堀。

天守台の石垣。

本丸から追手向櫓。

堀の外から本丸石垣。

堀の外から天守台。神社あり地蔵の供養あり、文化財としての整備の視点はなし、か?




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