所在地: |
奈良県大和郡山市城内町 |
最寄駅: |
近鉄京都線近鉄郡山駅 |
別 名: |
犬伏城 |
現存遺構: |
曲輪、石垣、堀 |
再建建物: |
追手門、追手東隅櫓、追手門向櫓、多聞櫓 |
区 分: |
平山城 |
城 主: |
筒井氏、豊臣氏、増田氏、大久保氏、山口氏、水野氏、松平氏、本多氏、柳沢氏 |
歴 史: |
1580(天正8) | 筒井順慶が築城 |
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1583(天正11) | 天守完成 |
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1585(天正13) | 順慶の養子・定次が伊賀上野に転封、豊臣秀長が入城 |
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1595(文禄4) | 秀長の子・秀保が死去し大和豊臣家断絶、増田長盛が入城 |
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1600(慶長5) | 関ヶ原の合戦後長盛が高野山に追放され、大久保長安が城番となる |
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1610(慶長15) | 山口直友が郡山城在番となる |
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1614(慶長19) | 筒井定慶が郡山城在番となる |
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1615(慶長20) | 大坂夏の陣で城下焼討ち、定慶は逃亡の後切腹。戦後水野勝成が入封、郡山藩立藩 |
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1619(元和5) | 勝成が福山転封、松平(奥平)忠明が入封し伏見城の廃材を用いて大修築、二の丸に御殿を築く |
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1639(寛永16) | 忠明が姫路転封、本多政勝が入封 |
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1679(延宝7) | 本多政長(政勝の子)の嫡養子・忠国が福島に転封され松平(藤井)信之が入封 |
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1685(貞享2) | 信之転封、本多忠平入封 |
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1724(享保9) | 本多家5代忠烈が幼少を理由に転封され柳沢吉里が入封、以降明治まで柳沢氏の居城 |
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1873(明治6) | 廃城、建物取り壊し |
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1983(昭和58) | 追手門復元 |
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1984(昭和59) | 追手東隅櫓、多聞櫓復元 |
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1987(昭和62) | 追手門向櫓、多聞櫓復元 |