大和郡山城 2004.11.28



所在地: 奈良県大和郡山市城内町
最寄駅: 近鉄京都線近鉄郡山駅
別 名: 犬伏城
現存遺構: 曲輪、石垣、堀
再建建物: 追手門、追手東隅櫓、追手門向櫓、多聞櫓
区 分: 平山城
城 主: 筒井氏、豊臣氏、増田氏、大久保氏、山口氏、水野氏、松平氏、本多氏、柳沢氏
歴 史: 1580(天正8)筒井順慶が築城
1583(天正11)天守完成
1585(天正13)順慶の養子・定次が伊賀上野に転封、豊臣秀長が入城
1595(文禄4)秀長の子・秀保が死去し大和豊臣家断絶、増田長盛が入城
1600(慶長5)関ヶ原の合戦後長盛が高野山に追放され、大久保長安が城番となる
1610(慶長15)山口直友が郡山城在番となる
1614(慶長19)筒井定慶が郡山城在番となる
1615(慶長20)大坂夏の陣で城下焼討ち、定慶は逃亡の後切腹。戦後水野勝成が入封、郡山藩立藩
1619(元和5)勝成が福山転封、松平(奥平)忠明が入封し伏見城の廃材を用いて大修築、二の丸に御殿を築く
1639(寛永16)忠明が姫路転封、本多政勝が入封
1679(延宝7)本多政長(政勝の子)の嫡養子・忠国が福島に転封され松平(藤井)信之が入封
1685(貞享2)信之転封、本多忠平入封
1724(享保9)本多家5代忠烈が幼少を理由に転封され柳沢吉里が入封、以降明治まで柳沢氏の居城
1873(明治6)廃城、建物取り壊し
1983(昭和58)追手門復元
1984(昭和59)追手東隅櫓、多聞櫓復元
1987(昭和62)追手門向櫓、多聞櫓復元


この堀は五間屋敷池というそうだ。

鉄御門跡。

追手向櫓と紅葉。

毘沙門郭の石垣。

追手向櫓。

追手向櫓と追手門。

追手東隅櫓。

追手門。

追手門UP。

城の遺構ではないが風格ある市民会館。

法印郭から追手東隅櫓と多聞櫓。

法印郭から追手向櫓。

天守跡石垣には11月3日に一日だけ発泡スチロールで「復元」された天守の骨組が。

追手向櫓と多聞櫓。

追手向櫓と紅葉。

追手向櫓と紅葉。

追手東隅櫓と紅葉。

追手向櫓。

天守郭から復興櫓群。

天守郭の月見櫓跡。

復元天守の残骸。

解体工事中で天守台は立入禁止。こないだ行った時は数珠を張り巡らして入れなくしていたが、「市制30周年記念行事」のためなら工事車両も入っていいのか。

毘沙門郭の石垣。向こうに追手東隅櫓。




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