所在地: |
長野県松本市丸の内 |
最寄駅: |
JR中央本線松本駅 |
別 名: |
深志城、烏城 |
現存遺構: |
大天守、乾小天守、辰巳附櫓、月見櫓、渡櫓(以上国宝)、曲輪、石垣、堀 |
再建建物: |
黒門、太鼓門 |
区 分: |
平城 |
城 主: |
島立氏、小笠原氏、武田氏、石川氏、松平氏、堀田氏、水野氏 |
歴 史: |
1504(永正元) | 小笠原氏の家臣・島立貞永が林城の支城として深志城を築城 |
|
1550(天文19) | 武田晴信(信玄)が小笠原長時を信濃より追い出し深志城占領 |
|
1582(天正10) | 武田氏滅亡後長時の子・貞慶が旧領回復し、松本城と改名 |
|
1590(天正18) | 貞慶の子・秀政が古河に転封、石川数正が入封 |
|
1594(文禄3) | 数正の子・康長が天守、乾小天守築造 |
|
1613(慶長18) | 康長が大久保長安事件に連座して改易、秀政が再び入封 |
|
1617(元和3) | 秀政の子・忠真が転封、松平(戸田)康長入封 |
|
1633(寛永10) | 康長の子・康直転封、松平(越前)直政入封 |
|
1634(寛永11) | 直政が月見櫓と辰巳附櫓を築造 |
|
1638(寛永15) | 直政転封、堀田正盛入封 |
|
1642(寛永19) | 正盛転封、水野忠清入封 |
|
1725(享保10) | 水野家6代忠恒転封、松平(戸田)光慈入封、以降明治まで戸田氏の居城 |
|
1727(享保12) | 本丸御殿炎上、以後再建されず二の丸御殿を使用 |
|
1871(明治4) | 廃城 |
|
1872(明治5) | 黒門・太鼓門取り壊し。天守も払い下げられるが市川量造の尽力で買い戻す |
|
1876(明治9) | 二の丸御殿(当時筑摩県役場として使用)焼失 |
|
1903(明治36) | 倒壊寸前の天守の修理を開始。完了は大正2年 |
|
1930(昭和5) | 国史跡指定 |
|
1936(昭和11) | 天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝保存法により国宝指定 |
|
1952(昭和27) | 上記5棟が文化財保護法により改めて国宝指定 |
|
1960(昭和35) | 黒門一の門復元 |
|
1989(平成元) | 黒門高麗門、枡形復元完成 |
|
1999(平成11) | 太鼓門枡形復元完成 |