水戸城 2023.7.15



所在地: 茨城県水戸市三の丸
最寄駅: JR常磐線水戸駅
現存遺構: 薬医門、空堀、土塁、弘道館本庁
復元建物: 大手門、坂下門、北柵御門、土塀、二の丸角櫓
区 分: 平城
城 主: 馬場氏、江戸氏、佐竹氏、徳川氏
歴 史: 1193(建久4) 馬場資幹が源頼朝から水戸の地を下賜され居住
1419(応永26)江戸道房が水戸城占拠
1590(天正18) 佐竹義宣に常陸一国が与えられる
1596(慶長元) 義宣が水戸城を拡張
1602(慶長7) 佐竹氏改易、武田信吉入城
1603(慶長8) 信吉無嗣のまま死去、徳川頼宣入城
1609(慶長14) 頼宣が駿府に移り弟の頼房が入城
1625(寛永2) 頼房が城の大改修を行い、御三階櫓を建てる
1764(明和元) 大火によりほとんどの建物が焼失
1769(明和6) 御三階櫓再建
1841(天保12) 第9代・斉昭が弘道館を設置
1842(天保13) 斉昭が偕楽園を開く
1868(慶応4) 弘道館戦争で建物焼失
1871(明治4) 廃城
1872(明治5) 放火により三階櫓を除き全焼
1896(明治29) 本丸跡に茨城県立尋常中学校(現水戸一高)が移転
1945(昭和20) 戦災で三階櫓全焼
1952(昭和27) 弘道館が国の特別史跡に指定
2019(令和元) 大手門・北柵御門復元完了
2020(令和元) 二の丸角櫓復元完了


16年ぶりに水戸城訪問。今回は三の丸側から。

三の丸西側土塁・空堀。

三の丸西側土塁・空堀。

三の丸西側土塁・空堀。

三の丸の北側に沿って歩く。北柵御門(令和元年復元)。

その脇の土塁・空堀。

かなり埋まっている感じだが空堀が続く。

三の丸の孔子廟の門。現在の三の丸の西側は水戸警察署、茨城県庁三の丸庁舎(県庁の大部分は遠くに移転)、県立図書館に。

三の丸・弘道館の正門。ここは有料(400円)。

正庁の玄関。

諸役会所にいきなり「尊攘」の額。

弘道館内部。

畳敷きの廊下と縁側、対試場。

部屋の畳の縁は葵の御紋柄。

正席の間。

床の間の掛け軸は石碑の写し。

格子越し。

畳敷きの廊下。

至善堂・藩主の御座の間。徳川慶喜が大政奉還後4か月ここで謹慎していたそうだ。

長持。

至善堂。

釘隠しはだいたいこれだったが、

一部こんなのも。

三の丸から二の丸に渡る大手橋(昭和10年架橋)と令和元年に復元された大手門。

以前はこんな感じだった。今は車も通れない。

大手橋の下は車道。北側。

南側(水戸駅側)。

土塀。

大手門UP。

大手門の内側から土塀。門をくぐってもこの土塁で視界は遮られる。

大手門両脇の瓦塀。

大手門内側から。

水戸二中や、

茨城大学付属幼稚園にも昔風の門ができていた。

茨城大学付属小学校と水戸第三高校の間の歩行者通路を通って、

令和2年に復元された二の丸角櫓に。

二の丸角櫓。北多聞櫓・角櫓・東多聞櫓の複合形式。

発掘調査で見つかった礎石のうち場所が不明なのが別途展示。

二の丸の中央の道路もきれいに整備。

屋形(御殿)跡に建つ水戸第三高校に石垣と塀のようなものが。昔はなかったらしい。

二の丸の北の端の「見晴台」からの景色。

杉山門。二の丸の北側の出口だそうだが、向きが違う?2015年復元。

柵町坂下門。こちらは二の丸の南側の出口。同じく2015年復元。

二の丸と本丸の間の堀切。

水郡線が通る。

水郡線UP。

本丸土塁。

本丸橋詰門である薬医門。唯一の現存建物。

本丸虎口。

駅ビルの前から二の丸角櫓。きれいに見るには駅前の三の丸ホテルに泊まるといいらしい。




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