武蔵松山城 2006.12.23



所在地: 埼玉県比企郡吉見町大字南吉見字城山
最寄駅: 東武東上線東松山駅
別 名: 武州松山城
現存遺構: 曲輪、土塁、空堀
区 分: 丘城
城 主: 上田氏、扇谷上杉氏、上杉氏、松平氏
歴 史: 1399(応永6)頃扇谷上杉氏被官の上田左衛門尉友直が築城?
1536(天文7)河越城を失った扇谷上杉朝定の居城となる
1546(天文15)扇谷上杉氏が北条氏により滅亡、城主・上田朝直は北条氏に降伏
1561(永禄4)上杉政虎(謙信)により落城、上杉憲勝が城代に
1563(永禄6)上杉憲勝が武田・北条連合軍に対し開城、再び上田朝直が城主に
1590(天正18)小田原の役で上杉景勝・前田利家により落城、家康の関東移封に伴い松平(櫻井)家広が入城
1601(慶長6)第2代藩主・忠頼(家弘の甥)が浜松に移封、松山城は廃城
1970(昭和45)東北自動車道造成により県史跡指定以外の部分の遺構が破壊
2008(平成20) 国史跡比企城館跡群に追加指定


東武東上線東松山駅の東口2番乗り場から「鴻巣免許センター」方面行きの川越観光バスに乗り約5分、「百穴入口」下車、市野川を渡ると松山城が目の前に。

有名な吉見百穴側にあった案内板。入口がわからずに吉見百穴側の車道を登ってしまった。

畑の脇の道(たぶん私道)を入っていくと城の遺構らしき土塁が。

三の丸の空堀。

空堀。

土橋?ここから曲輪に上がってみる。

上から。

春日丸であった。

春日丸跡。

春日丸と二の丸の間の空堀。

春日丸から二の丸。

二の丸を囲む空堀。

空堀。

二の丸。

二の丸。

これも土橋か?

さらに先まで行く。

先端。

別の先端。

さっきの土橋のところに戻ると二の丸に上る石段があった。なので登る。

二の丸跡には何やら社が。

二の丸と本丸を隔てる空堀。

先端まで行っても渡れそうにない。

土塁。

こちらにも道はない。

二の丸。

こちらにも本丸への道はない。

二の丸から本丸。




その2へ。