佐倉城 2007.6.16



所在地: 千葉県佐倉市城内町官有無番地
最寄駅: 京成本線京成佐倉駅、JR成田線佐倉駅
別 名: 鹿島城
現存遺構: 土塁、堀、空堀、門(名称不明・移築)
区 分: 平山城
城 主: 土井氏、石川氏、堀田氏、松平氏、大久保氏、戸田氏、稲葉氏
歴 史: 1617(元和3) 土井利勝が千葉氏の鹿島城の跡に7年かけて築城
1633(寛永10)利勝が古河移封、石川忠総が入封
1634(寛永11)忠総が膳所移封、松平(形原)家信が入封
1642(寛永19)家信の子・康信が高槻に戻り、堀田正盛が入封
1651(慶安4)正盛が将軍・家光に殉死、子の正信が家督を継ぐ
1660(万治3)正信幕政に不満を抱き無断帰城、改易
1661(寛文元)松平(大給)乗久入封
1678(延宝6)乗久が唐津移封、大久保忠朝が唐津より入封
1686(貞享3)忠朝が小田原移封、戸田忠昌入封
1701(元禄14)忠昌の子・忠真が高田移封、高田より稲葉正往入封
1723(享保8)正往の子・正知が淀移封、松平(大給)乗邑入封
1746(延享3) 乗邑の子・乗佑移封、堀田正亮入封、以降明治まで堀田氏の居城に
1813(文化10)天守焼失、以後再建されず
1873(明治6) 廃城、陸軍第一軍管第二聯隊営所建設のため建物すべて破壊
1909(明治42)第二聯隊は水戸に移り、代わって歩兵第57聯隊が入営
1945(昭和20) 二の丸跡にあった佐倉57聯隊衛戌病院が国立佐倉療養所になる
1979(昭和54)国立佐倉療養所が移転
1982(昭和57) 城址公園として整備完了
1983(昭和58)椎木曲輪跡に国立歴史民俗博物館が開館、角馬出し復元


今回は京成佐倉駅からアクセス。徒歩10分で堀に到達。

堀。かつては「三十間堀」だった。

堀。

坂を上ると田町門跡。しかし今の愛宕坂は国立歴史民俗博物館を建てた際に作ったものだそうだ。

城址公園案内図。拡大

国立歴史民俗博物館があるのは椎木曲輪跡。侍屋敷があった。

発掘復元された椎木門前の角馬出し。元の深さは6mだったが復元に際し3mに。

空堀。

左端。

右角。

空堀。

角馬出し。

椎木門跡。

二の丸脇の空堀。写真ではわかりづらいなあ。

城址公園入口。

堀田正睦像。2006年10月に新しく建てられたものだそうだ。

二の門跡。

枡形になっている?

二の丸跡。

ここで一旦公園外に出て大手門跡(JR佐倉駅側)から再登城。

自由広場(三の丸御殿跡で現在駐車場)脇の案内所にある天守復元模型。三層四重だったらしい。パンフ、日本100名城スタンプラリーのスタンプもこの案内所にある。

空堀。

姥が池。名前の由来の伝説(乳母が子供を池に落としてしまい、責任を感じて自らも入水自殺)は悲惨。

菖蒲田。周りは湿地。

昔は田町門の近くに菖蒲園があったらしい。

満開。

姥が池のスイレン。

土塁。

空堀。これは多少見やすいかな。

三の門手前の土橋。

空堀。整備はされているが埋まっているのでこの浅さ。




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