相馬中村城 2005.9.10



所在地: 福島県相馬市中村字北町
最寄駅: JR常磐線相馬駅
別 名: 馬陵城、中村館
現存遺構: 外大手一の門、門(移築)、石垣、土塁、堀
区 分: 平城
城 主: 中村氏、相馬氏
歴 史: 1525(大永5)頃中村朝高が居城、中村館と呼ばれる
1543(天文12)頃相馬氏14代・顕胤が中村氏を討ち、草野直清を城代として置く
1563(永禄6)直清が伊達輝宗と通じて謀反を起こし討たれ、相馬隆胤(15代・盛胤の次男)が城代に
1590(永禄6)隆胤が伊達政宗との戦いで戦死するが、秀吉により相馬氏の本領は安堵
1611(慶長16)相馬利胤(17代)が小高城から中村城に本拠を移し相馬中村藩立藩、近世城郭築城
1670(寛永10)天守が落雷により焼失、以降再建されず
1871(明治4)廃城、建物破却


相馬駅から徒歩で10分ちょっと、二の丸野球場に到着。

堀。

二の丸野球場は東二の丸の跡。

見取り図。本丸の四方に二の丸を配した縄張り。

東三の丸跡をぐるっと回ると唯一の遺構である外大手一の門が。

川越城番だった相馬義胤(18代)が川越城の門を模して作らせたものだとか。1649(慶安2)年完成。

高麗門。

ちょっと離れたとこから。

南二の丸跡は広場に。昔からそうなのかは不明だが、中村神社の参道が南二の丸を貫いている。

中の門跡。

相馬中村城跡の石碑。

本丸へと渡る赤橋。

赤橋脇の石垣。

赤橋と石垣。

東二の丸(野球場のスタンド裏)には相馬藩の窮状を救ったと言われる二宮尊徳の像が。

赤橋を渡って本丸へ。

赤橋脇の石垣。

本丸の藤棚。この辺りに本丸御殿があったらしい。わずかの期間ながら三重の天守もあったそうな。

現在本丸には相馬神社があるのみ(藩祖を祀ったもの。中村神社とは別)。

本丸跡。

わずかに残る石垣の跡。

これも。




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