高田城 2003.8.10



所在地: 新潟県上越市本城町
最寄駅: JR信越本線高田駅
別 名: 鮫ヶ城、関城、法螺城
現存遺構: 堀、土塁
再建建物: 三階櫓
区 分: 平城
城 主: 松平氏、酒井氏、稲葉氏、戸田氏、榊原氏
歴 史: 1614(慶長19)松平忠輝が築城、福島城より移る
1616(元和2)忠輝改易、酒井家次入封
1618(元和3)家次の子・忠勝が松代移封、松平(越前)忠昌入封
1624(寛永元)忠昌は福井に移封、甥の光長入封し三重櫓を建造
1665(寛文5)地震で崩壊、その後三重櫓は再建
1681(天和元)光長改易、高田は天領に
1685(貞享2)稲葉正往入封、高田藩再興
1701(元禄14)正往は佐倉に移封、入れ替わりで戸田忠真入封
1710(宝永7)忠真が宇都宮移封、松平(久松)定重入封
1742(寛保2)松平家5代・定賢が白河移封、姫路から榊原政永が入封し城郭整備、以降明治まで榊原家が城主
1802(享和2)本丸全焼
1870(明治3)本丸御殿が火事で全焼
1871(明治4)廃城
1890(明治23)跡地を旧藩主榊原家に払い下げ
1908(明治41)高田町が榊原家から買い上げ陸軍第13師団を招聘、土塁を切り崩し、堀を埋め立てる
1993(平成5)三階櫓を木造で復元
2002(平成14)極楽橋復元


JR信越本線高田駅から歩いて約20分、高田公園に到着。まず目に入る堀一面のハス。ちょうど8月が盛りらしい。

とにかく凄い数のハス。

さらに公園内を進むと奥に10年前に再建された三階櫓が。

石垣はなく、土塁の上に建てられているのが特徴。

見上げる(逆光)。

かなり変わったデザインだが、リーフレットによると稲葉正通時代(貞享〜元禄)の数値、光長時代の本丸御殿絵図を参考としているそうだ。

中は博物館だが展示物の撮影は禁止。

御殿のあった本丸は現在上越教育大付属中学校。龍岡城なんかと違ってあんまりうるさく「関係者以外立入禁止」とか書いてあると「うるせーそっちが邪魔だ」とか思ってしまう。

空は青空。

三階から堀を見下ろす。

壁も櫓と同時に再建された。

わずかに残った土塁。

光長時代の絵図を基にした案内図。

このあたりに大手門があった?

昨年再建された極楽橋。駅の反対側からの公園の入り口になっている。

堀の周りを回ってみる。隣に見える三角の建物は上越南厚生会館。

三階櫓は本丸の西南隅にあった。

UPで。

内堀。

内堀に住むコクチョウ。

さらに回ってみる。

またハスの咲く二の丸堀に。二の丸跡には現在高田工業高等学校、上越南厚生会館、上越市立総合博物館などがある。

蓮と上越南厚生会館。

二の丸西側外堀全景。中央に架かる赤い長い橋は西堀橋。




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