| 所在地: | 新潟県上越市本城町 | |
| 最寄駅: | えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン高田駅 | |
| 別 名: | 鮫ヶ城、関城、法螺城 | |
| 現存遺構: | 堀、土塁 | |
| 再建建物: | 三階櫓 | |
| 区 分: | 平城 | |
| 城 主: | 松平氏、酒井氏、稲葉氏、戸田氏、榊原氏 | |
| 歴 史: | 1614(慶長19) | 松平忠輝が築城、福島城より移る |
| 1616(元和2) | 忠輝が不行跡のため改易、酒井家次が高崎から入封 | |
| 1618(元和3) | 家次の子・忠勝が松代移封、松平(越前)忠昌が川中島から入封 | |
| 1624(寛永元) | 忠昌は北ノ庄(福井)に移封、甥の光長が北ノ庄から入封し三階櫓を建造 | |
| 1665(寛文5) | 地震で崩壊、その後三重櫓は再建 | |
| 1681(天和元) | 越後騒動により光長改易、高田は天領に | |
| 1685(貞享2) | 稲葉正往入封、高田藩再興 | |
| 1701(元禄14) | 正往は佐倉に移封、入れ替わりで戸田忠真入封 | |
| 1710(宝永7) | 忠真が宇都宮移封、松平(久松)定重入封 | |
| 1742(寛保2) | 松平家5代・定賢が白河移封、姫路から榊原政永が入封し城郭整備、以降明治まで榊原家が城主 | |
| 1802(享和2) | 本丸全焼 | |
| 1870(明治3) | 本丸御殿が火事で全焼 | |
| 1871(明治4) | 廃城 | |
| 1890(明治23) | 跡地を旧藩主榊原家に払い下げ | |
| 1908(明治41) | 高田町が榊原家から買い上げ陸軍第十三師團を招聘、土塁を切り崩し、堀を埋め立てる | |
| 1993(平成5) | 三階櫓を木造で復元 | |
| 2002(平成14) | 極楽橋復元 | |
高田駅から歩いて20分、高田城址公園に。まず見えるのは西堀橋(蓮見橋)。高田城址公園といえばハスだが、これが植えられたのは廃城後の1871(明治4)年、藩の財政困窮を救うためにレンコン栽培を企図した戸野目の大地主・保阪貞吉によるものだそうだ。レンコン掘りは1962(昭和37)年まで行われていた。
西堀橋を渡って公園に。この西堀橋は歴史的には存在しなかったもの。
1911(明治44)年ごろ、陸軍第十三師團があった頃の図。すでに大部分の土塁がなくなっている。
復元三階櫓。
三階櫓を南側から。
土塀も入れて。
復元極楽橋。
本城堀(内堀)に映る三階櫓。
本丸土塁。
絵図。ここから先はこの図を参考に歩く。
三階櫓を北側から。
UP。
さらにUP。
三階櫓から本城堀。この橋も歴史的にはなかったもの。
逆光。
極楽橋。本丸側の端には蹴出門があった。
本城御門があった辺り。
本丸土塁。元のままではないんだろうなあ。
本丸土塁。
東不明門があった辺り。
本城堀の東側には引橋が架かっていた。
北側。
南側。
二の丸、東仕切門があった辺り。現在は桜見本園。
東南角。
出丸っぽいものがあったようだ。平和な時代の築城だったので隅櫓などはなかった。
2002(平成14)年復元の極楽橋。
極楽橋。木造復元だが工法的には最新の技術が用いられているそうだ。
現在は堀が埋め立てられ二の丸と三の丸は地続き。
南堀。でかい。ある意味高田城の最大の遺構はこの広大な堀かも。西半分しか残っていないが。
今は土塁はなく遊歩道が。南西角に突き出た瓢箪曲輪は今は野球場。
南堀から大手堀に。
南西端。
大手堀は内側に切り込んだ形になっている。
大手堀は高田城址公園の南を走る司令部通りで終わり。昔は大手橋があった辺り?
西堀。
二の丸(人質曲輪)の神社。昔からあったものではない。
復元図。
北西端。外堀は北・西・南の三方向残っている。。
夕方に再度三階櫓。
三階櫓。
三階櫓。
三階櫓。
三階櫓。
三階櫓。
西堀の夕日。