備中松山城 2003.9.7



所在地: 岡山県高梁市内山下町
最寄駅: JR伯備線備中高梁駅
別 名: 高梁城、小松山城、臥牛城
遺 構: 現存天守、二重櫓、土塀、石垣
区 分: 山城
城 主: 秋葉氏、高橋氏、上野氏、庄氏、三村氏、毛利氏、小堀氏、池田氏、水谷(みずのや)氏、安藤氏、石川氏、板倉氏
歴 史: 1240(仁治元)秋葉重信が大松山に築城
1331(元弘元)頃高橋宗康が小松山まで城域拡張
1575(天正3)城主の三村元親が毛利氏に離反(備中兵乱)、小早川隆景により落城、毛利氏所有に
1600(慶長4)関ヶ原の合戦後小堀正次が城番となり、麓に尾根小屋を築く
1606(慶長10)正次の子・政一(のちの小堀遠州)が小松山の砦を修築
1617(元和3)池田輝政の甥・長幸が入封、松山藩立藩
1641(寛永18)長幸の子・長常が無嗣廃絶、城は福山藩の水野家預かりに
1642(寛永19)水谷勝隆入封
1683(天和3)勝隆の子・勝宗が大修築、現在の天守を建造
1693(元禄6)水谷氏無嗣廃絶、城は赤穂藩浅野家預かりとなり家老・大石良雄が城受け取り
1695(元禄8)安藤重博入封
1711(正徳元)重博の子・信友加納移封、石川総慶入封
1744(延享元)総慶移封、板倉勝澄入封、以降明治まで板倉家が城主
1868(慶応4)無血開城
1873(明治6)廃城、尾根小屋は取り壊されるが山上の城は放置
1940(昭和15)昭和の大修築、翌年天守等が国宝指定
1950(昭和25)文化財保護法により天守・二重櫓。三の平東土塀が国の重要文化財指定
1997(平成9)平成の大修築、本丸南御門など復元


伯備線・備中高梁駅からタクシーで鞴(ふいご)峠駐車場へ。そこから猿の糞とそれにたかるハエの多さに辟易しつつ山道を歩いて20分、ようやく石垣が見えた。

そそり立つ崖の上に造られた石垣と土塀。しかし近年下の岩も石垣も崩落の危険性が出てきたとか。

大手門跡。

大手櫓跡。

二の平櫓跡。

重要文化財の土塀。

三の平櫓跡。

黒門跡。

層をなす石垣。

四の平櫓跡。

厩曲輪跡。

二ノ丸石垣。

二ノ丸から高梁市街を見下ろす。

本丸に到達。

天守UP。

再建された本丸南御門から天守を見る。

天守。

再建された六の平櫓。中ではビデオが上映。写真はないが南御門をはさんで同じく再建された五の平櫓は管理人詰所。

再建の本丸東御門。

天守を見上げる。

横から。

腕木御門と天守。

すごーい乱雑な感じの石垣。

重要文化財の二重櫓。

天守を横から。




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