躑躅ヶ崎館 2004.6.5



所在地: 山梨県甲府市古府中町
最寄駅: JR中央本線甲府駅
別 名: 武田氏館、甲斐府中城
現存遺構: 曲輪、石垣、土塁、堀
区 分: 平城
城 主: 武田氏、河尻氏、加藤氏、浅野氏
歴 史: 1519(永正16)武田信虎が築城
1543(天文12)全焼、その後信玄が再建
1581(天正9)勝頼が新府城を築いて移る
1582(天正10)勝頼滅亡後甲斐には河尻秀隆が入る
1583(天正11)国人一揆で秀隆が殺害、甲斐は家康が領し平岩親吉を郡代として置く
1590(天正18)家康関東入りに伴い親吉が厩橋に転封、甲斐は羽柴秀勝に与えられる
1591(天正19)秀勝岐阜に移封、加藤光泰が入封、天守を築く
1593(文禄2)光泰が文禄の役の陣中で急死し、浅野長政が入封
1594(文禄3)甲府城の完成により廃城
1919(大正8)躑躅ヶ崎館跡に武田神社創建
1938(昭和13)国史跡指定


一般的には武田神社として知られる躑躅ヶ崎館跡。甲府駅北口から2km、歩くと30分。バスは20分に一本。この石垣は神社創建後に作られたもの。

左手の石垣。もともとここに入口はなかった。

堀。

武田神社の鳥居。

武田神社の本殿。

信玄公御使用の井戸、だそうだ。

武田氏館配置図(想像図)。

東曲輪の東側の堀。

こちら側は水が入ってなかった。

石垣。

武田神社の北側の「散策路」から西曲輪馬出へ。

西曲輪。石垣が土嚢に取って代わられてる。

西曲輪石垣。

逆側。

中曲輪と西曲輪を結ぶ橋。

中曲輪と西曲輪の間の空堀。

中曲輪の土塁。この奥に武田氏滅亡後に作られた天守台があるらしいのだが、「立入禁止」になっていた。

西曲輪の堀。

人が近づくと全速力で寄ってくるカモ。

コブハクチョウまで。飢えてるのか?

堀。

石垣。

橋。




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