上田城 2003.8.10



所在地: 長野県上田市二ノ丸
最寄駅: JR長野新幹線・しなの鉄道上田駅
別 名: 真田城、尼ヶ淵城
現存遺構: 南櫓、北櫓、西櫓、曲輪、石垣、堀、土塁
再建建物: 東表門、袖塀
区 分: 平城
城 主: 真田氏、仙石氏、松平氏
歴 史: 1583(天正11)真田昌幸が築城
1585(天正13)第一次上田合戦、昌幸が徳川軍を退ける
1600(慶長5)第二次上田合戦、昌幸が関ヶ原の合戦に向かう徳川秀忠を足止め
1601(慶長6)真田昌幸・信繁親子隠居、上田城は破却(信之が三の丸跡に陣屋を構えた)
1622(元和8)真田家は松代に移封
1626(寛永3)仙石忠政が上田入封、城を再建
1706(宝永3)仙石氏3代・政明が出石転封、松平(藤井)忠周が入城、以後明治まで松平家の居城
1871(明治4)廃城、兵部省所轄となり上田分営が置かれる
1875(明治7)上田分営廃止、丸山平八郎氏が払い下げを受ける
1880(明治12)松平神社(現真田神社)が本丸跡に創建
1894(明治26)丸山氏から寄付を受け公園化
1927(昭和2)二の丸堀に上田交通傍陽線が開通
1934(昭和9)国史跡指定
1949(昭和24)移築されていた南北両櫓を再移築
1972(昭和47)上田交通傍陽線廃止
1994(平成6)東虎口櫓門と袖塀復元


長野新幹線を上田駅で降り、歩いて上田城に向かう途中に藩主屋敷跡がある。現在は上田高校。門と堀だけが残っているのかな?

堀には亀。

二の丸入り口。

二の丸堀。1972(昭和47)年までは上田交通真田傍陽線の線路が通っていた。

本丸南櫓。1949(昭和24)年に移築されたが、本当にこの場所にあったものかどうかは疑問とか(南櫓という櫓は存在した)。

東虎口の南櫓、本丸東表門、北櫓。

北櫓。

南櫓。

石垣。このデカい石が「真田石」と呼ばれるもの。真田昌幸が上田城を築城した時、太郎山から掘り出して「真田石」と名づけたとか。息子の信之が松代に転封される際、この石を家宝として持って行こうとしたが、微動だにしなかったという伝説が。なんでこんなデカい石を持って行こうと考えたんだか。

真田神社。

北櫓。

南櫓。

南櫓側から中に入れます。

櫓門を通って北櫓に。

石落とし。

発掘された鯱。

また南櫓。

真田神社の脇にある真田井戸。実は抜け道だとか何とか(ふさがれてるので事実は?)

先ほどの南北櫓は移築されたもの、櫓門は再建されたものだがこの西櫓(もともとはそういう名は付いてなかったらしいが)は仙石氏の頃からここに建っているそうだ。

以前は博物館として使用されていたが、現在は博物館は別に建てられ、こちらには入れない。

西櫓の石垣。なんか不安定に見えるが。

西櫓。

今日は城廻りに最適な天気だ。




2回目に。

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