岐阜城 2007.11.18



所在地: 岐阜県岐阜市金華山天守閣
最寄駅: 名鉄名古屋本線名鉄岐阜駅
別 名: 稲葉山城、井口城、金華山城
現存遺構: 石垣
再建建物: 復興天守、模擬櫓
区 分: 山城
城 主: 斎藤氏、織田氏、池田氏、豊臣氏
歴 史: 1549(天文18)斎藤道三が稲葉山城築城
1567(永禄10)織田信長が攻略、岐阜城と改名
1576(天正4) 信長の子・信忠が岐阜城主に
1582(天正10) 信忠が明智光秀と戦い自害、弟・信孝が清洲会議の結果城主に
1583(天正11)信孝が秀吉に敗れて自害した後、秀吉家臣の池田之助が入城
1584(天正12) 小牧・長久手の戦いで之助戦死
1585(天正13) 之助の弟・輝政が入封、天守改築
1590(天正18) 輝政が三河吉田に転封
1591(天正19) 豊臣秀勝が甲斐より転封
1592(文禄元) 秀勝が朝鮮で病没、織田秀信が秀吉の計らいで岐阜城主に
1600(慶長5)関ヶ原の戦いで秀信が西軍に付き、輝政らに攻められて落城
1601(慶長6)家康の命令により廃城、廃材は加納城に使用される
1910(明治43)模擬天守が建てられる
1943(昭和18)模擬天守焼失
1956(昭和31)天守再建
1975(昭和50)岐阜城資料館建設
1997(平成9)天守改修


若き日の織田信長像。

まずはロープウェー山麓駅裏の織田信長居館跡に。

復元石垣。

石垣とイチョウ。

復元石垣。

復元土塁と巨石。

井戸跡。

千畳敷。ここに信長の居館があったとされる。

明治天皇像。

現在発掘中。

庭園跡と推測される、とのこと。

この丸石(河原石)が自然のものではなく庭園跡であった証拠。

この巨石も。

これは現在の岐阜公園の池だが、ちょうどこんな感じで巨石と河原石で装飾してあった、と考えられる(説明員の方・談)

ロープウェーで山頂へ。復興天守。

天守台石垣。

天守UP。

天守。

天守UP。

天守台石垣。

隅櫓を模した岐阜城資料館。

岐阜城資料館UP。

天守最上階。

天守を見上げる。

再び天守。

二の丸から岐阜城資料館。

二の丸から天守。

岐阜らしい鵜の銅像。

板垣退助像。有名な「板垣死すとも自由は死せず」の言葉はここ岐阜公園で襲撃された後に発したとされている。

公園前バス停から天守。




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